会社を出るのは、だいたい夜10時を過ぎた頃。退社後も確認事項や翌日の段取りが頭に残り、そのまま帰ると、妻や愛犬のラッキーを前にしても仕事の続きを考えていることがあります。
そんな夜は、大通りを外れた裏道を歩きます。自分の靴音や街灯に伸びる影、肌に触れる夜の空気へ意識を向けていると、家へ着く前に仕事の感覚が少しずつ薄れていきます。
この記事では、あえて裏道を選ぶ理由や、20代の頃とは変わった帰り道の過ごし方、家族の待つ家へ気持ちを戻すまでを書いています。仕事を帰宅後まで引きずりやすい方が、帰り道の使い方を考える参考になればと思います。
大通りを外れると仕事の音が遠ざかる
会社から最寄り駅までは大通りを歩くほうが明るく、道も分かりやすいです。夜遅くまで営業している店があり、車も途切れません。急いで帰るだけなら、そちらを選ぶほうが合理的だと思います。
でも私は、ときどき一本横へ入り、住宅街の細い裏道を歩きます。
もちろん不安を感じるほど暗い道や見通しの悪い場所は避けています。街灯があり、何度も通って道の様子が分かっている範囲で、少し遠回りをするんですね。
裏道へ入ると、すぐに聞こえる音が減ります。車のエンジン音、人の話し声が遠ざかり、代わりに自分の革靴がアスファルトを打つ音が目立つようになります。
コツ、コツ、と一定の間隔で響く音を聞いていると、頭の中に残っていた仕事の会話まで遠くなる気がします。
私が担当している仕様設計の仕事では、相手の要望と実現できる条件をすり合わせながら、細かな部分まで考えます。昼間は必要な集中ですが夜まで頭の中で同じ検討を続けていると、家に帰る頃にはすっかり疲れてしまいます。
私が裏道を選ぶ一番の理由は、家に着く前に仕事の刺激から少し離れる時間をつくれるから。
大通りを歩けば数分早く駅へ着くかもしれません。でも、私にとっては早さだけが正解ではなくなりました。ほんの少し遠回りしても歩いている間に頭の速度を落とせるなら、その数分には大きな意味があると思っています。
街灯の影を見る余裕が戻ってきた
裏道を歩いていると、街灯を通り過ぎるたびに自分の影が伸びたり縮んだりします。
背後から光が当たると、影は私を追い越すように前へ伸びます。次の街灯へ近づくにつれて短くなり、やがて足元へ戻ってくる。その繰り返しを、歩きながらぼんやり眺めています。
子どもの頃は自分の影が長くなるだけで面白かったはずです。影の頭を踏もうとしたり、急に走って逃げてみたり。今考えると、ずいぶん単純な遊びですが、あの頃はそれだけで十分でした。
20代の頃は、仕事が終わると同期と一緒に駅まで歩くことが多く、世間話や仕事の愚痴を言い合っていました。にぎやかな帰り道も楽しかったですし、誰かと話すことで気持ちを発散できていたのだと思います。
40代になった今は、少し違います。
人と話すことが嫌になったわけではありませんが、一日中誰かと調整し、説明し、判断を重ねたあとは、会話を増やすより、何も話さず歩くほうが楽な時があります。
以前は、帰宅中も次の目標や仕事の進め方ばかり考えていました。足元の影など、目に入っていても意識していなかったでしょう。
今は街灯の下で影が変わる様子に気づき、少し歩調を緩めることがあります。
「こんなものを眺めている場合かな」
そんな考えが一瞬浮かぶこともありますが、夜10時を過ぎてまで前だけを見続けなくてもいいだろう、と今は思います。
影の動きに気づけること自体が、仕事で狭くなっていた意識が日常へ戻り始めた合図です。
40代になって歩く速さが落ちたのか、
それとも急がない時間の大切さが分かってきたのか。
おそらく両方でしょう。
街灯に伸びる自分の影を見ながら歩く時間は、大人になって忘れていた、少しくだらなくて静かな遊びです。普段部下から苦笑いされるオヤジギャグばかりではなく、影とも遊べる。これなら誰にも気を使わないのも良いですね。
冬の足元に集中すると考え事が止まる
裏道が特に静かになるのは、冬の夜。
冷たい空気が頬に当たり、ポケットへ手を入れていても耳や鼻の先が痛くなることがあります。人通りの少ない住宅街ではその寒さが余計にはっきり感じられます。
雪が降った翌日は、さらに注意が必要です。大通りでは雪が解けていても、日陰の多い裏道には凍った部分が残っていることがあります。
黒く光る路面を見つけたら、歩幅を狭くします。急がず足の裏全体を地面へ置くようにして、一歩ずつ確かめながら進みます。
私は普段、トラブルが起きるとまず自分で何とかしようと動くタイプです。とにかく試し、駄目なら次の方法を考える。その性格は仕事で役立っていますが、頭だけが先へ進みすぎることもあります。
ところが凍った路面では、先の予定を考えている余裕がありません。
今、右足をどこへ置くか。次の一歩で滑らないか。注意が足元へ戻り、さっきまで考えていた仕様変更や未返信の連絡が、いつの間にか頭から消えています。
一度、見た目では凍っていないと思った場所で靴底が滑り、慌てて体勢を立て直したことがあります。転びはしませんでしたが、腕だけは見事に宙を泳ぎました。誰かに見られていたら、何かのコントのようで、ちょっと恥ずかしい場面ですね。
静かな裏道には心地よさがありますが、寒さや路面状況を軽く見てはいけません。
冬に歩くときは、少なくとも次の点を意識しています。
- 街灯が少なすぎる道へ入らない
- 凍結していそうな場所では歩幅を狭くする
- スマートフォンを見ながら歩かない
- 疲れが強い日は無理に遠回りしない
裏道を歩く習慣は、安心して帰れることが前提です。
危険な思いをしてまで静けさを求める必要はありません。天候や体調によっては、明るい大通りを選ぶほうがよい夜もあります。
そのうえで、冷たい空気や足裏の感覚へ注意を戻すと、先のことばかり考えていた意識が、今歩いている場所へ戻ってきます。
裏道の静けさから家族の時間へ戻る
裏道を抜けてマンションへ近づくと、自宅の窓に明かりがついているのが見えます。
その光を見つけた瞬間、一人で歩いていた時間が終わり、妻とラッキーのいる生活へ戻るのだと実感します。冬は特に、外の冷たさと部屋の明かりの差が大きく、見慣れた景色なのに少しほっとします。
マンションの入り口へ入り、オートロックの操作盤で部屋番号を押します。妻がモニターで確認していると分かっているので、私はインターホンのカメラへ少し変な顔を向けます。
普通に「今帰ったよ」と言えばいいのですが、それでは何となく物足りません。私の性格上、つい変わったことをしたくなるんですね。
「何してるの?!」
インターホン越しに妻が笑うこともあれば、疲れているのか、冷静な声が返ってくる場合もあります。反応が薄い日は、変顔が今一つ悪かったということにしています。
重い扉が開きエレベーターへ乗り込む頃には、裏道を歩いていたときの静かな気分から、家族と過ごす気持ちへ変わっています。
部屋のドアを開ければ、ラッキーが玄関まで走ってきます。妻の顔を見て、ラッキーの頭を撫でる。そのとき仕事の話ばかり考えていない自分でいられるのは、帰宅前に一人で歩く時間があったからかもしれません。
会社から家まで最短距離で帰ることだけを考えれば、裏道は遠回り。でも、自分の靴音を聞きながら数分歩いたあとは、妻へ最初にかける言葉が少し柔らかくなる気がします。
仕事の疲れがすべて消えるわけではありませんが、私にとってこの帰り道は、会社員の時間から家庭の時間へ移る境目になっています。
まとめ
私が仕事帰りに裏道を歩くのは、大通りの音から離れ、自分の靴音や街灯の影へ意識を戻すためです。ほんの数分でも、仕事の続きを考えながら帰るのとは違う時間になります。
20代の頃は、同期と話しながら帰ることで気持ちを切り替えていました。40代になった今は、誰とも話さずに歩く時間が必要な夜もあります。
暗すぎる道や凍った道は避けながら、少しだけ遠回りする。マンションの明かりが見えてくる頃には、妻とラッキーの待つ家へ帰る気持ちに変わっています。
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