毎日の散歩コースを歩いていると、決まった場所で決まった人とすれ違うことが増えてきます。特に、白い毛並みのワンちゃんを連れた男性とは、もう何度も顔を合わせています。僕が連れているラッキーは白・茶・黒の三色ですが、体格は向こうの犬と同じくらいです。
最初の頃は、お互いに見知らぬ者同士という緊張感がありましたが、こうした朝の空気は、深夜の裏道で足元に伸びる影を追いながら歩く帰宅路とは違い、どこか穏やかさを含んでいます。
すれ違う数メートル前から自然とリードを短く持ち直し、犬同士が近づきすぎないよう、お互いに道の端へ寄って距離を置く。それがこの界隈を歩く飼い主同士の、暗黙のルールのようなものでした。
20代の頃の僕は、街中で見知らぬ人とすれ違う瞬間に何かを意識することなどほとんどありませんでしたが、犬を連れている今は、相手の歩幅やリードの張りにまで自然と意識が向くようになっています。
鼻をひくひくさせて挨拶を交わす犬たちの背中を見守る時間
何度か同じ場所ですれ違いを重ねるうちに、僕たちの間の空気は少しずつ変化してきました。いつからか、あんなに警戒して短く持っていたリードを、それほど強く引かなくても済むようになったのです。
最近では、すれ違う瞬間にラッキーと白いワンちゃんが足を止め、お互いの鼻をひくひくさせて、軽く匂いを嗅ぎ合うようになりました。吠えかかることもなく、かといって過剰にはしゃぐこともない。体格が似ているせいか、彼らなりに何か通じ合うものがあるようです。
僕はその間、ラッキーの背中を優しく見守りながら、リードが絡まないように自分の立ち位置を調整します。
この「犬同士の挨拶」を待っている数秒間、僕と相手の男性の間には、言葉こそありませんが穏やかな沈黙が流れます。街中では見知らぬ人に声をかけることはまずありませんが、犬を連れて歩いている者同士だと、不思議と「同じ空間を共有している仲間」のような感覚が芽生えます。
それは山登りですれ違う時に交わす挨拶に近い、シンプルで清々しい繋がりです。
言葉を交わさず顎を引く程度の会釈に込める大人の距離感
犬たちが満足した様子で再び歩き出そうとするタイミングで、僕は相手の男性と視線を合わせ、軽く顎を引く程度の会釈をします。相手も同じように、控えめな会釈を返してくれます。
こうした言葉のいらないやり取りは、以前川沿いの公園のベンチで愛犬と並んで腰を下ろす午後に感じた静けさと、どこか似ている気がしました。
「おはようございます」と声を出すわけではありませんが、その一瞬の動作だけで、「今日も元気に散歩していますね」という確認が取れたような、心地よい充足感が残ります。40代の会社員として働いていると、仕事では常に明確な言葉や論理を求められますが、この散歩道でのコミュニケーションは、そうした煩わしさから解放されています。
名前も職業も知らないけれど、同じ時間帯に同じ道を歩く。その事実だけで成立しているこの会釈が、僕にとっては非常に贅沢な時間に感じられるのです。
周囲の家々から漏れる生活の音や、遠くを走る車の走行音。そんな日常のノイズの中に、僕と相手の男性の小さな会釈が静かに溶けていきます。
無理に現実に引き戻されるような生々しさはなく、むしろ散歩という非日常的な静寂が、この小さな接触によってより深まっていくような気がします。
帰宅してラッキーを撫でながら妻へ報告する何気ない一言
散歩を終えてマンションの玄関をくぐると、先ほどまで外の空気に触れていたラッキーの体が、少しだけひんやりとしています。部屋に入ると、妻がいつものように「おかえり」と迎えてくれます。
「今日もあの白いワンちゃんに会ったよ」
僕がそう伝えると、妻は「あ、あのラッキーと同じくらいのサイズの子ね」と頷きます。その報告に対して、何か深い意味があるわけではありません。けれど、自分たちの日常のサイクルの中に、名前も知らない誰かの存在が確かに組み込まれている。
そのことに触れるだけで、心が少しだけ外の世界へと開かれていくような感覚があります。
ラッキーは僕の膝に頭を乗せ、満足そうに目を細めています。さっき会った白い犬のことを思い出しているのか、それとも単に歩き疲れて眠いだけなのか。僕は彼の柔らかい毛並みを指先でなぞりながら、また明日も同じ場所で、あの会釈を交わすであろう瞬間をぼんやりと想像しました。
特別な出来事は何一つ起きないけれど、その「変わらなさ」こそが、今の僕には何よりも大切に思えるのです。

