秋になると、近所の公園へ続く銀杏並木が黄色に染まります。妻と愛犬のラッキーと歩くようになってから、この道は、きれいな景色を見るだけでなく、毎年カメラを向けたくなる場所になりました。
撮るのは正面を向いて並んだ記念写真ばかりではありません。私より少し先を歩く妻とラッキーの後ろ姿や、落ち葉の上で立ち止まる様子です。ただ、構図にこだわりすぎると二人に置いていかれるので、数枚撮ったらカメラを下ろすようにもなりました。
この記事では、なぜ銀杏だけでなく散歩中の家族の姿を残したくなったのか、撮影をどこで切り上げているのか、毎年同じ場所の写真を見返すと何が違って見えるのかを書いています。
似た景色を撮り続ける意味を、我が家の秋の散歩から振り返ります。
毎年同じ並木で妻とラッキーを撮る
銀杏並木へ入ると、妻とラッキーは私より少し前を歩きます。
ラッキーは足元の匂いを確かめながら進み、妻はその歩調に合わせてリードを持っています。銀杏の葉へ後ろから日が差すと黄色がやわらかく透け、その中に二人の輪郭が浮かびました。
「この二人が並んで歩く今の姿を、今年も残しておきたい」
そう思った瞬間、私は一眼レフを構えます。
銀杏だけを撮るなら、立派な木や葉の色を探せばよいのかもしれません。でも、あとから見返したくなるのは、妻とラッキーがその道を歩いている写真でした。
ラッキーが横を向いていても妻の顔が写っていなくても構いません。私が残したいのは、銀杏並木そのものではなく、その中を歩く二人の姿です。
毎年同じ場所で撮るので背景はよく似ています。それでも、妻の服装やラッキーの歩き方、二人の距離、背景に映る銀杏の黄色具合は少しずつ違います。
写真を見返すと、その年の秋に三人でこの道を歩いた時間がよみがえります。だから今年も、二人の姿を残そうとまたカメラを持ち出します。
撮影に夢中になると二人に置いていかれる
銀杏の黄色は、光の向きによって見え方が変わります。
葉の後ろから日差しが入ると、濃かった黄色が急にやわらかく見えることがあります。その場所へ妻とラッキーが入るよう、私は少し立ち止まり、構図を考えながらシャッターを切ります。
妻の歩幅、ラッキーの尻尾、道に広がる落ち葉。気になるものが増えると、つい撮影に夢中になってしまいます。
「もう少しだけ、そのまま歩いて」
こちらは真剣なのですが、妻とラッキーは撮影用のモデルではありません。私がカメラの設定や立つ位置に迷っているうちに、二人は待ちきれない様子で、そのまま先へ進んでいきます。
ふと顔を上げると、二人との距離がかなり開いていることもよくあります。
妻が振り返り、「早く来ないと置いていくよ」と笑っている中、私はカメラを抱え直し、少し早足で追いつきます。
納得できるまで撮りたい気持ちはありますが、何度も足を止めれば妻を待たせ、ラッキーの散歩も中断させてしまいます。最初は笑っていた妻の表情が少し変わると、「折角の散歩なのに、さすがに撮りすぎたか…」と気づきます。
写真を残すことは大切ですが、その日に三人で歩く時間はそれ以上に大切です。数枚撮ったら一度カメラを下ろし、妻とラッキーのところへ戻る。
今はそのくらいで切り上げるようになりました。
散歩の流れを止めずにラッキーを撮るときは、二人を何度も待たせるのではなく、私が立つ位置を変えるようにしています。カメラ目線を求めずに撮るようになった経緯は、「犬の散歩写真を自然に撮る方法」の記事で詳しく書いてますので参考にしてみてください。
青空が広がっている、光が黄色を際立たせている、完璧な一枚を求めていたら切りがありません。妻が笑いながら振り返ったこと、ラッキーがその横を満足そうに歩いていたこと、それらが思い出せる写真のほうが、私にとっては大切です。
写真を見返すとその年の違いが残っている
散歩の帰り道や帰宅後に、撮った写真を見返します。
銀杏がきれいに写った一枚もありますが、
私が長く見るのは、やはり妻とラッキーの姿が入った写真です。
構図が整っていなかったり、ラッキーが別の方向を向いていたりすることもあります。妻がラッキーに水をやろうとした瞬間の写真は少しブレていたりします。でも、写真としては少し失敗に見えそうですが、その年の二人の様子が生き生きと残っています。
同じ並木で撮った写真が増えると、前年との小さな違いにも目が向くようになりました。
銀杏の葉がまだ多く残っている年もあれば、地面が黄色い落ち葉で埋まっている年もあります。妻が厚いコートを着ている年もあり、ラッキーが少し先を歩いている写真もあります。
大きな変化ではありません。
でも同じ場所だからこそ、背景ではなく家族の様子へ目が向きます。妻との距離、ラッキーの歩き方、自分がどこから二人を見ていたか。写真を撮ったときには気づかなかった違いが、あとから見えててくるものです。
遠くへ旅行した写真ほど華やかではありませんが、近所の並木を毎年歩いた記録には、普段の暮らしがそのまま残っています。
「この年も、また置いていかれているな」
写真を見ながら、そんなことを思う年が続くのも悪くありません。
同じ景色を繰り返し撮ることは、似た写真を増やすだけだと思っていましたが、実はその年ごとの妻とラッキーを比べられる、小さな家族の記録になっていました。
まとめ
毎年同じ銀杏並木で写真を撮るのは、きれいな黄色を残すためだけではありません。
妻と愛犬が少し先を歩く姿、撮影に夢中になって置いていかれたこと、振り返った妻に笑われたこと。そうした散歩の途中の出来事まで全て含まれているのが、我が家の写真です。
同じ場所で撮っていても、銀杏の色づき方や落ち葉の量、妻とラッキーの姿は少しずつ違います。その小さな変化が残ることに、毎年撮る意味があるんですね。
次の秋も、私は一眼レフを持って銀杏並木へ向かうと思います。また撮影に夢中になり、少し先を歩く二人を追いかけるのでしょう。そんな一枚が増えていくのも、我が家の秋の記録です。

